2010映画祭リポート⑪:磯村一路監督特集&トークその2
寒い日が続きますが、皆様いかがお過ごしですか?
年明けとともに、第5回ひめじ国際短編映画祭事務局が立ち上がり、次回開催に向けての準備が着々と進んでおります。
今度は5周年。世界文化遺産の姫路城の他、多数の観光資源を持つ「姫路というまちの魅力」を映画と同時に楽しんでいただけるような映画祭を目指しています。
今まではドキュメンタリー制作を通して姫路の魅力を映画祭で発信してきました。
次回は、映画を見せるロケーションにも工夫して、映画の魅力とともに姫路の魅力を体感してもらえるような企画を練ってますのでお楽しみに~~!
もちろん、映画が主役の映画祭。コンペはもちろん、トークや海外プログラム、アニメーションプログラムなど、より一層充実させる予定です!
後ほど改めてお知らせしますが、映画祭を盛り上げてくれるスタッフも大大募集中ですので、「面白そう」と思った方、お気軽にブログオーナーまでご連絡ください!
観客もいいけど、一緒に映画祭を作るのも楽しいですよ。
さて、本題。磯村監督トークの続きです。その1はこちら。
もとはWEB配信予定の作品だったので、そのことを意識して作られたか?
劇場用とWEB配信用の作品の違いを実感したいという思いでこの仕事を引き受けたのもあった。
WEBで見ると、37、42インチのテレビよりも小さい画面を想定して、なるべく「よって」撮るように心がけた。一般映画を撮る時は、映画らしい巨大なスクリーンでの「ひき」の映像が好きなので、自分の好みとは違う撮り方をした。
作り手として、自分の興味外のものをすることによって得られる発見を期待して、WEBムービーに挑戦してみた。
「僕は泣いっちち(「歌謡曲だよ、人生は」より)」の制作のいきさつは?
うちの会社のプロデューサーが歌謡曲の映画を作りたがっていた。うちは「アルタミラピクチャーズ」の他にも「アルタミラミュージック」というのをしていてミュージシャンの映画を作り続けていて、「こまどり姉妹がやってくる」などの歌謡曲シリーズをやっていた。一般映画で本編も作ってみたいという念願がプロデューサーにあり、最終的にはいろんな曲がはいったバラエティに富んだ作品にしてみようということになった。そこで若い監督などにも声をかけて作り上げた。その中の一本がこの作品です。
僕は歌謡曲世代なんですが、若い監督が作った作品ですと、例えば、「ラブユー 東京」の中に原始人がでてきたりと、とんでもない作品もあり、面白いのでよかったら見てみてください。
数ある歌謡曲の中で、守谷浩のヒット曲「僕は泣いちっち」を選ばれた理由は?
僕が小学生の時ですが、この曲が大ヒットし、子供ながらに「ちっちっち」と学校帰りに歌っていた。なんであんなにヒットしたのか、なんで自分も歌っていたのか思い返してもわからなかったが、映画を作ることで、この曲と向き合ってみるとまた新しい発見があったりして面白いんじゃないかと思い、リストの中からこの曲を選んだ。
他に若い監督も沢山いたので、私自身は、テイストとして、昭和30年代の日活歌謡映画の感じを目指して作った。だから、「時代遅れだな」と言われると私としては「成功した!」と思っています。
確かに日活アクションを思わせる演出ですね。
作詞作曲を担当したのは浜口庫之介さんで、当時は知らなかったが、日本歌謡史に残る偉大な方で、テレビドラマにもなった人ですね。
その当時は、青春の物語として東京に上京するというのがよくあった。今は違うが、東京に行って生活するということだけで物語が生まれるという時代がしばらく続いていたので、歌謡曲もそういうテーマの曲が多かったですね。今でも「東京」という曲があったように思いますが。
つづく。
年明けとともに、第5回ひめじ国際短編映画祭事務局が立ち上がり、次回開催に向けての準備が着々と進んでおります。
今度は5周年。世界文化遺産の姫路城の他、多数の観光資源を持つ「姫路というまちの魅力」を映画と同時に楽しんでいただけるような映画祭を目指しています。
今まではドキュメンタリー制作を通して姫路の魅力を映画祭で発信してきました。
次回は、映画を見せるロケーションにも工夫して、映画の魅力とともに姫路の魅力を体感してもらえるような企画を練ってますのでお楽しみに~~!
もちろん、映画が主役の映画祭。コンペはもちろん、トークや海外プログラム、アニメーションプログラムなど、より一層充実させる予定です!
後ほど改めてお知らせしますが、映画祭を盛り上げてくれるスタッフも大大募集中ですので、「面白そう」と思った方、お気軽にブログオーナーまでご連絡ください!
観客もいいけど、一緒に映画祭を作るのも楽しいですよ。
さて、本題。磯村監督トークの続きです。その1はこちら。
もとはWEB配信予定の作品だったので、そのことを意識して作られたか?
劇場用とWEB配信用の作品の違いを実感したいという思いでこの仕事を引き受けたのもあった。
WEBで見ると、37、42インチのテレビよりも小さい画面を想定して、なるべく「よって」撮るように心がけた。一般映画を撮る時は、映画らしい巨大なスクリーンでの「ひき」の映像が好きなので、自分の好みとは違う撮り方をした。
作り手として、自分の興味外のものをすることによって得られる発見を期待して、WEBムービーに挑戦してみた。
「僕は泣いっちち(「歌謡曲だよ、人生は」より)」の制作のいきさつは?
うちの会社のプロデューサーが歌謡曲の映画を作りたがっていた。うちは「アルタミラピクチャーズ」の他にも「アルタミラミュージック」というのをしていてミュージシャンの映画を作り続けていて、「こまどり姉妹がやってくる」などの歌謡曲シリーズをやっていた。一般映画で本編も作ってみたいという念願がプロデューサーにあり、最終的にはいろんな曲がはいったバラエティに富んだ作品にしてみようということになった。そこで若い監督などにも声をかけて作り上げた。その中の一本がこの作品です。
僕は歌謡曲世代なんですが、若い監督が作った作品ですと、例えば、「ラブユー 東京」の中に原始人がでてきたりと、とんでもない作品もあり、面白いのでよかったら見てみてください。
数ある歌謡曲の中で、守谷浩のヒット曲「僕は泣いちっち」を選ばれた理由は?
僕が小学生の時ですが、この曲が大ヒットし、子供ながらに「ちっちっち」と学校帰りに歌っていた。なんであんなにヒットしたのか、なんで自分も歌っていたのか思い返してもわからなかったが、映画を作ることで、この曲と向き合ってみるとまた新しい発見があったりして面白いんじゃないかと思い、リストの中からこの曲を選んだ。
他に若い監督も沢山いたので、私自身は、テイストとして、昭和30年代の日活歌謡映画の感じを目指して作った。だから、「時代遅れだな」と言われると私としては「成功した!」と思っています。
確かに日活アクションを思わせる演出ですね。
作詞作曲を担当したのは浜口庫之介さんで、当時は知らなかったが、日本歌謡史に残る偉大な方で、テレビドラマにもなった人ですね。
その当時は、青春の物語として東京に上京するというのがよくあった。今は違うが、東京に行って生活するということだけで物語が生まれるという時代がしばらく続いていたので、歌謡曲もそういうテーマの曲が多かったですね。今でも「東京」という曲があったように思いますが。
つづく。
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