2010映画祭NEWS

2010映画祭リポート⑬:磯村一路監督特集&トークその4 (2011年01月20日付け)

さて、お待ちかね!の「瞬 またたき」の制作裏話です。

トークその1はこちら。その2はこちら。その3はこちら





原作がある作品の映画化をする際の苦労は?

「瞬 またたき」に関しては、原作者の人が、小説と映画のシナリオは違ってかまわないという基本的なことをきちんと理解してくださっていたので、本質は変えずに舞台や季節を変えることなどは問題なく了解してくれた。

ベストセラーの映画化は、読者も多いし、熱狂的なファンも多いのでやりにくい。
まずは、キャスティング。俳優さんはTVドラマのせいで非常に忙しくて、スケジュールが合う方で原作のイメージに合う方を見つけるのは至難の業。だから、キャスティングや、読者の作品への思いに映画が追い付いてないというのはよくある。
なので、原作を探す場合は、売れてない作品や、短い作品を探すようにしている。
そうすると、映画の出資者は、「誰の作品なの?」と文句を言う。
今は原作の争奪戦で、最近は特に出版社の方も映画化担当者を置いてる位で、厳しく対応するようになっている。

主演の北川景子さんの素顔は?

俳優さんは勘のいい方が多く、特に女優さんは考えずにすっと入りこんで演技する方が多い。北川さんももちろん勘はあるが、彼女は頭のいい方で、原作を読みこんでしっかり考えて入り込んでいくタイプ。
トラウマを抱える役だったので心理医学的な本を参考にと渡したらしっかり読んで勉強していた。

彼女が演じる主人公の女性は本当に普通の女の子なので彼女とは全然違う。女優さんは我が強い人が多く、そうでないと女優なんてできない。彼女もそうだが、一生懸命普通の女の子を演じてくれていた。

舞台や、時期などの変更の理由は

多摩川を北海道に変えたのは、多摩川だと交通量が多く4~50人の大所帯での撮影が困難だから。原作者からは川沿い、土手というロケーションだけは押さえてほしいといわれたので、川のある場所を探した。
場所が変わるのはこういった撮影上の理由から。

夏の花火大会が桜の満開の時期に変わったのは、主役二人のスケジュールの問題から。花火をとるか、二人をとるかの選択で二人をとった。

交差点での事故をトンネル内でに変えたのは、街中の交差点で撮影するのはまず許可が下りないし、大変だから。CG処理で背景を変えるのもできたが、それだと臨場感がない。
なので、北海道なら使ってない道があるだろうと思い探すと、実際いい場所が見つかった。
映画を撮る時は、自分の思う場所で撮れないのが当たり前。そこをどう乗り越えるかが映画作りの難しさ。

現実に映像化するということで、様々な変更を余議なくさせられるのが小説の映画化ですが、「瞬 またたき」の中で、逆にここだけは変えられないと思ったところは?

主人公の女性は、事故の後、事故の記憶を忘れてしまうが、記憶として、「またたく」ものがある。そこに何か大事なものがあると感じ、恐怖と悲しみのあまりなくしてしまった記憶を取り戻す努力をする。それがいいのかどうかはわからないが努力する。というのが小説の核の部分でここは大事にしました。

最後に、若手監督、未来の制作者に向けてメッセージ、アドバイスをお願いします。

私の青春時代は映画制作は本当に困難だったが、今は小さな画面から大きな画面まで制作機会は増えている。これからもソフトの需要は増えていると思うので、30半ば位までは夢を諦めないで頑張ってほしい。

(トークリポートおわり!)




できるだけリポートするように努めましたが、省略している箇所もあります。

磯村監督の穏やかで真摯なお人柄がにじみでるトークに観客の皆さんも真剣に聞き入っていました。

磯村監督、素晴らしい一時を有難うございました!



次回のリポートは、交流会の様子です。お楽しみに~。

(hiroko)  


Posted on 2011年01月20日 │コメント(0)

2010映画祭リポート⑫:磯村一路監督特集&トークその3 (2011年01月20日付け)

映画祭ブログをあげたかいあって、2010年のボランティアさんから、「また次回も手伝いたいです!」とメールがきました。

ので調子に乗って、というか、いい加減ほんまに全部UPしたいので頑張る。
目標、今週中。

ちなみに、2010年のボランティアの皆様、まだ開催日時が決定してないのでお声掛けできてませんが、もう少し具体的になったら連絡させていただきますので、その時は宜しくお願いいたします!

さて、磯村監督トークリポートその3。

その1はこちら。その2はこちら。



カラオケ映像もかなり作られたようですが…

100本はくだらないでしょうね。映画監督を目指していましたが、当時は今ほど制作が盛んでなかったので、仕事と言えばピンク映画だったり、カラオケ映像だったり、企業のPR映像だった。

今一緒にアルタミラピクチャーズをしている、周防正行と組んで、ワゴン一台を借りて、東京から淡路島まで、1曲分の映像を作りながら流れるという楽しい生活を送っていた。

今のカラオケ映像は斬新だと思うが、僕が始めたころはカラオケが始まった時期で、どういうものを作っていいかもわからず発注元のパイオニアもはっきりしたコンセプトは持ってなかった。
なので曲にあわせたある種の短編映画を自由に作らせてもらっていた。
最初は結構予算もあったので、いいバイトになった。
最初は1日1曲制作、最後の方は1日3曲なんて過酷な場合もあったが、いい勉強、いい思い出。

カラオケ映像を作って映像的な発見はありましたか?

演歌と、ポップスでは、テンポが全然違う。演歌はゆっくり、長いワンカット。ポップスはテンポよくカット数も多いので、仕事量が増えて大変。だからみんなで、制作が楽な演歌を取り合ってた。
でもカラオケ映像、特にアップテンポで難しいポップスを制作したことで、曲と映像をマッチングさせるテクニックは磨かれた。今でも、音楽シーンは得意だと自分では思っている。

歌ってる人は字しか見てないが、聞いてる人は映像を見ている。だから、映像を見る人用に、客のニーズにあわせて映像を作ってほしいというふうに変わってきたりもした。例えば、露天風呂のシーンをいれてくれとかね。

つづく。

次回はお待ちかね、新作「瞬 またたき」の制作裏話です!お楽しみに。

(hiroko)  


Posted on 2011年01月20日 │コメント(0)

2010映画祭リポート⑪:磯村一路監督特集&トークその2 (2011年01月19日付け)

寒い日が続きますが、皆様いかがお過ごしですか?

年明けとともに、第5回ひめじ国際短編映画祭事務局が立ち上がり、次回開催に向けての準備が着々と進んでおります。

今度は5周年。世界文化遺産の姫路城の他、多数の観光資源を持つ「姫路というまちの魅力」を映画と同時に楽しんでいただけるような映画祭を目指しています。

今まではドキュメンタリー制作を通して姫路の魅力を映画祭で発信してきました。
次回は、映画を見せるロケーションにも工夫して、映画の魅力とともに姫路の魅力を体感してもらえるような企画を練ってますのでお楽しみに~~!

もちろん、映画が主役の映画祭。コンペはもちろん、トークや海外プログラム、アニメーションプログラムなど、より一層充実させる予定です!

後ほど改めてお知らせしますが、映画祭を盛り上げてくれるスタッフも大大募集中ですので、「面白そう」と思った方、お気軽にブログオーナーまでご連絡ください!

観客もいいけど、一緒に映画祭を作るのも楽しいですよ。

さて、本題。磯村監督トークの続きです。その1はこちら。





もとはWEB配信予定の作品だったので、そのことを意識して作られたか?

劇場用とWEB配信用の作品の違いを実感したいという思いでこの仕事を引き受けたのもあった。
WEBで見ると、37、42インチのテレビよりも小さい画面を想定して、なるべく「よって」撮るように心がけた。一般映画を撮る時は、映画らしい巨大なスクリーンでの「ひき」の映像が好きなので、自分の好みとは違う撮り方をした。
作り手として、自分の興味外のものをすることによって得られる発見を期待して、WEBムービーに挑戦してみた。

「僕は泣いっちち(「歌謡曲だよ、人生は」より)」の制作のいきさつは?

うちの会社のプロデューサーが歌謡曲の映画を作りたがっていた。うちは「アルタミラピクチャーズ」の他にも「アルタミラミュージック」というのをしていてミュージシャンの映画を作り続けていて、「こまどり姉妹がやってくる」などの歌謡曲シリーズをやっていた。一般映画で本編も作ってみたいという念願がプロデューサーにあり、最終的にはいろんな曲がはいったバラエティに富んだ作品にしてみようということになった。そこで若い監督などにも声をかけて作り上げた。その中の一本がこの作品です。

僕は歌謡曲世代なんですが、若い監督が作った作品ですと、例えば、「ラブユー 東京」の中に原始人がでてきたりと、とんでもない作品もあり、面白いのでよかったら見てみてください。

数ある歌謡曲の中で、守谷浩のヒット曲「僕は泣いちっち」を選ばれた理由は?

僕が小学生の時ですが、この曲が大ヒットし、子供ながらに「ちっちっち」と学校帰りに歌っていた。なんであんなにヒットしたのか、なんで自分も歌っていたのか思い返してもわからなかったが、映画を作ることで、この曲と向き合ってみるとまた新しい発見があったりして面白いんじゃないかと思い、リストの中からこの曲を選んだ。

他に若い監督も沢山いたので、私自身は、テイストとして、昭和30年代の日活歌謡映画の感じを目指して作った。だから、「時代遅れだな」と言われると私としては「成功した!」と思っています。

確かに日活アクションを思わせる演出ですね。

作詞作曲を担当したのは浜口庫之介さんで、当時は知らなかったが、日本歌謡史に残る偉大な方で、テレビドラマにもなった人ですね。

その当時は、青春の物語として東京に上京するというのがよくあった。今は違うが、東京に行って生活するということだけで物語が生まれるという時代がしばらく続いていたので、歌謡曲もそういうテーマの曲が多かったですね。今でも「東京」という曲があったように思いますが。

つづく。  


Posted on 2011年01月19日 │コメント(0)

2010映画祭リポート⑩:磯村一路監督特集&トークその1 (2011年01月05日付け)

お待たせしました、メインゲスト&審査委員長の磯村一路監督のトークリポートです!
結局年越しでの映画祭リポートになってしまいましたが。。。

では早速スタート!(長いので数回にわけて^^)





【その1】

映画監督として30年近くのキャリアがあるそうですが、撮り始めたきっかけは?

大学時代、映画が好きで、当時は「自主映画」制作が盛んな時代だったので、仲間内でよく作っていた。

当時は映画産業が衰退していて、大映がつぶれそうで、日活と合併して大日になったがそれもだめで、日活が一般の映画をやめて、ロマンポルノを作るようになっていた時代だった。観客は洋画に流れていた。

そういう状況だったので、当時は映画の仕事がしたくても、する場所がなく、映画を撮りたい人は、仲間内で自主映画を撮るのが大半。極一部の人間が、映画スタッフとしてなんとか仕事にありついていたという状況だった。

僕は大学を出てサラリーマンをしたが、つまらないのですぐやめていわゆるプ―タローでアルバイトをして暮らしていた。

その頃、ジャズバーで2週間に1回位、短編映画を借りて、監督や関係者を呼んで自主上映会&ティーチインをしていた。

そこへゲストとして最近「キャタピラー」で話題の若松孝二監督が来られた。
意気投合?して、その当時麻雀の仲間が足りなかったらしく、事務所に呼ばれて麻雀を一緒にするようになった。そこで話をしていくうちに、自主映画を制作していた話になり、「だったら俺の助監督になれ」と言う感じで若松監督に偶然拾われて映画界にはいった。

実は、何故拾われたかというと、これも偶然で、その時、大島渚監督の「愛のコリーダ」にみんな駆り出されていて、事務所の人間が出払っていたので、電話番がほしかったから。事務所で1年間電話番をすることになり、そのご褒美に、全く経験もない僕に、成人映画を撮らせてくれた。これが映画監督になったきっかけです。

「トカゲ飛んだ?」制作秘話

僕は仲間と一緒に「アルタミラピクチャーズ」と言う小さな制作会社をしているのだが、「トカゲ飛んだ?」はWEBムービーを作りたいというオファーが他の制作会社からあって、これからの時代の為に勉強と思って依頼を受けた。結局その会社がうまくいかなくなって、劇場公開になった。

「ペットボックス」というペットブームにあやかった企画で、複数の監督が、犬や猫などの動物を題材に撮った1時間以内の短編集で、僕の他にはアーティストやキャイーンの浜野君なんかもいる。

僕は猫でやりたかったが、シナリオ担当の方が、トカゲ(カナヘビ)を飼っていてトカゲでやりたいと言うのでそれで書いてもらった。

画面に映っているのは一匹に見えるが、撮影現場には彼が飼っていたカナヘビも含め、ペットショップで買ってきたモノなど何匹もいた。

猫は飼っていたので生態はよく知っていたが、カナヘビの生態に関しては自信がなかったが、シナリオの人がよく知っていたし、見ていて面白かったですね。

(続く)

磯村監督の穏やかで気さくな人柄が伝わる和やかなトーク。
レジュメしているので監督のユーモアは伝わりにくいですが、人柄が出る話し方というのでしょうか?
「監督は話ベタが多い」と言われてましたがとんでもない!

あ~ビデオであげれなくて残念!!!

続きをお楽しみに!

(hiroko)  

Posted on 2011年01月05日 │コメント(0)

2010映画祭リポート②:EDHドキュメンタリー上映★加筆★ (2010年12月30日付け)

お待ちかねの映画祭リポート第2弾は、
エクラン・ドゥ・ハリマ制作のドキュメンタリーの上映の様子を。

今年は、「姫路に残る町屋にて」と「忍者と侍と殿様のまち 姫路」の2本を制作、上映しました。




我らが高原(ひろーき)監督の挨拶。厳しい撮影スケジュールの中、本業の合間を縫っての制作。
撮影中は真剣で厳しい表情の高原監督でしたが、お披露目の日は、リラックスした、いつもの優しいひろーきさんに^^


舞台挨拶では:

「2回目までは映画祭を運営するのだけで精いっぱいだったが、3年目の去年、姫路で映画祭をする意義や映画祭のアイデンティティを考えた時、自分たちで姫路をテーマにした映画を作るのも大事ではないかと考えた。去年は3本撮り、今年は姫路城だけじゃない姫路の町の魅力、人の魅力をテーマに2本撮りました。主に3人のメンバーで、6月から始めておとといまでかかってギリギリで作った。」

「町屋のドキュメンタリーを作ろうとしたきっかけは、趣のある町屋がある日突然壊されて駐車場になっていたということが身近に起こっていて、なんとかならないかなとずっと思っていた。」

「二本目の作品に関しては、この4月に、工事前の最後のチャンスと、多くの観光客が姫路にかけつけて姫路城がとても賑わっていたのを見て、この風景を記録として残したいと思った。外国人の観光客も多く、みんなどんなことを感じてるのか興味を持った。それでマイクを向けて気持ちを記録したいと思ったことがきっかけです。」

「梅雨時期だったので、雨で撮影が延期になったり、外国人の方に来てもらっても言葉の壁があってなスムーズに撮影が進まなかったりなどいろいろ苦労もあったが、こうして映画を作ることで姫路の良さを再認識できたし、見ている皆さんにとっても姫路を見なおすきっかけになったらいいなとと思って作っています。」


映画祭以外にも様々なイベントに参加・運営しているので、既に地元では有名人のひろーきさんですが、ここ最近は、監督としても知名度をあげつつあります。撮影中も、近所の方や、仕事関係の方に会った時は、「監督もやってたんや~知らんかった!サインサイン!」と。

 出演してくださった方々、協力してくださった方々も観に来てくださり、和やかな雰囲気で上映が行われました。

自分たちが出ている作品を大画面で観るのは恥ずかしいやら、嬉しいやら?

(アートホールでの2回目上映の際には、忍者さんたち乱入!でミニミニ忍者ショーが!高原監督もびっくりのハプニング。皆さん、本当にエンターテイナーです。)


町屋の保存に努める方も、観光客のおもてなしに励む方も、「方法」は違うけど「思い」はひとつ。

「大好きな姫路をもっと楽しくしたい。自分も楽しみながら、姫路に来る人、住む人たちを楽しませたい。お城と、そして、お城以外の姫路の魅力を発信したい」。


ドキュメンタリーを通して伝わる市民ボランティアの皆さんの思いにじ~んときます。

皆さん、この「思い」のもと、「自分たちにできることは何か?」を考え、自主的に活動されているのです。
本業の合間、プライベートの時間を割いてのボランティア活動。
報酬は、「みんなが喜んでくれる笑顔」。

今年は私も少しだけ撮影に参加したのですが(荷物持ちですが)、取材対象である皆さんの笑顔の素晴らしさに感動しました!皆さんが活動を、人生を、心から楽しんでいらっしゃるのが生き生きとした表情から伝わってきました。

そして、私たちエクラン・ドゥ・ハリマも、同じ「思い」で映画祭を始めました。

みんなが笑顔になれる楽しい映画祭、みんなの(精神)生活が少しでも豊かになれる映画祭。
そんな映画祭を楽しみながら作っていきたいな~と、改めて思いました。

今回のドキュメンタリーが、「姫路のよさ」再認識とともに、「地元のために自分に何ができるか?」を考えるきっかけになればよいなと思います。

生まれた町、住んでる所、自分たちの力で楽しくしたいですよね!

ちなみに、見逃してしまった!という方は、実費をいただければDVDをお送りすることができます。ご興味のある方は、お気軽にブログオーナーまでご連絡ください。詳細をお知らせいたします。

最後に、ドキュメンタリー制作に協力してくださった皆様、本当にありがとうございました!
そしてドキュメンタリー制作スタッフの皆さん、お疲れさまでした!

(hiroko)
  


Posted on 2010年12月30日 │コメント(0)