姫路事務局便り&舞台裏

ひめじ国際短編映画祭の生い立ち⑤~第3回映画祭開催 その2~ (2011年02月14日付け)

今日はバレンタインですね!

私が住むフランスでは、女性が男性にチョコをあげる習慣はありません。
そんなわけで、フランス生活最初の年に当時付き合っていた男性に上げるとびっくりされました^^
しかもチョコ嫌いというので自分で食べたし。

カップルの二人が愛を確かめ合う日という認識位はあるようで、プレゼントをする一機会にはなりますが、
男性から女性かな?

ちなみにチョコはバレンタインに限らず、プレゼントとして年中重宝されているのでチョコレート屋さんが
売るための戦略を練る必要もないんですよね。

さて、先週末にクレルモンフェラン国際短編映画祭に行ってから、ちょいと忙しくなり、ブログ更新の間があいてしまいましたが、「生い立ち編」復活します!

クレルモンレポートはその後。
おっと、その前に2010年度の交流会レポートもあげなくては!
でもってその後に、2010年度スタッフ奮闘記編です。

ああ、ゴールは遠い。

では、2009年度編の続き!!!

③初代運営委員長の熱意と手腕による映画祭の飛躍的発展

さて、初代運営委員長のことは前回に書きましたが、この年映画祭がどういう点で大きく飛躍したかというと…

 ①ドキュメンタリー:これも前回書きましたね。
 ②公募コンペ応募総数が一気に増えて235本に!!!
 ③映画祭カフェ&伊藤有壱監督「ニャッキ!」展示
 ④トークショーも充実して、ほぼ満席の大盛況
 ⑤感動の授賞式・公募コンペ入選監督も多数参加(スタッフセレクション・コンペ入選作品18作のうち14  監督が来姫!)

というわけで、順に振り返ってみます。



②前年度は73作だったのに、驚きの3倍以上、235本の応募数に!

これは予想外。で、事務局長のHさん、Hさんの本業の事務員さんかつボランティアスタッフとしても手伝ってくれていたOさんに多大な負担をかけてしまうことになります…が、お二人とも優秀なのできちんと管理、さばいてくださいました!
お疲れさまでした!

そしてその後は公募の一時審査を私と担当してくれることになったシネマクラブのT氏の出番。
今までは帰省後、一気に見て間に合うボリュームだったのに235本なんてのは絶対無理!
で、T氏にネット上にあげてもらって私も遠隔で一次審査に参加。
T氏はパソコンをフル稼働して、オンラインで審査できるようにしてくれます。
T氏と分担して一時審査を行いました。とてつもなく時間と根気が要る作業。
仕事後夜~夜中、週末を使って、応募作品をひたすら観る!

最後は二人で意見をすり合わせて、二次審査である公開審査に出す作品を選出。
メールやらスカイプやらを総動員して頑張りました。

T氏、本当にお疲れさまでした。あなたほどの映画好きでないとこの作業はできなかったでしょう…
しかも私の「一次審査遠隔で参加したい!」というわがままのせいで仕事を増やしてすみませんでした。


③映画祭カフェと「ニャッキ!」展の実施。

2008年度編で書き忘れていましたが、地元では大人気の移動カレー販売屋さん、スパイスキッチン☆サンサーラさんの協力を得て、2008年度から映画祭カフェを実施していました。
サンサーラさん、最近はご当地バーガー、「たつのバーガー」でも有名&人気ですね。

で、好評につき2009年度も実施。
家族総動員で運営してくれます。

今回はゲスト&審査委員長が代表を務めるI.TOONの協力を得て「ニャッキ!」展も開催!
子供から大人まで大人気の展示会となり、映画祭カフェも賑わいました。

大忙しとなる映画祭カフェを仕切ってくれたのは、これまた委員長の友人で初参加のH氏。
アートイベントの運営委員長としてイベント経験のあるH氏。
てきぱき、元気に明るく、スタッフをまとめ、仕切ってくれて、お任せ運営でした。

美味しい料理を作ってくれたサンサーラさん、H氏、カフェスタッフの皆さん、お疲れさまでした!

ちなみに、美術品展示をよくわからず、お願いしてしまった私。
配送の手配に苦労しましたが、根気よく付き合ってくださったI.TOONのスタッフの皆様、有難うございました。

④大盛況の伊藤有壱監督トークショー

舞台でクレイアニメーション制作の実演までしてくださり、大充実のトークショー。
アートアニメーションに興味がなかった方も、その魅力に思わず引き込まれてしまったようです。
作品の魅力、トークの内容もさることながら、伊藤監督の温かい人柄、トークのうまさ(東京芸大で教えられているので本当にお話がうまい!)によって、伊藤監督ご自身のファンになられた観客も多かったようです^^

おかげさまで、会場はほぼ満席。
会場受付も混雑しましたが、会場担当のM氏(初参加!)を筆頭にボランティアスタッフが明るく元気にきっちりとさばいてくれて問題なし。

進行も綿密なT氏の進行表のおかげで順調に。

実は、ゲスト監督を決める時に、数人の候補の中から伊藤監督を協力プッシュしたのは、何を隠そう運営委員長のH.T氏。
アートが大好きなH.T氏。大ファンだったそうです。なのでゲストアテンドもばっちりでした^^

⑤監督多数参加の感動の授賞式

そして、今までいきあたりばったりだった授賞式(ええ、私がしてたもんですから!)も今年は運営委員長&T氏の進行で、ばっちり。

そして、事務局長&デザイン担当のHさん作成の素敵な表彰状もできました!

そしてそして、一番嬉しかったのは、公募コンペ、スタッフセレクションに入選の監督が18人中14人来場してくださったこと!東京からの方が多く、遠方から本当に有難うございました!

伊藤監督の提案で奨励賞も急きょもうけて、素晴らしいコメントもいただき、温かく素敵な授賞式となりました。

2009年度の映画祭日記はこちら。


2009年度は、物品協賛を沢山いただいた年で、アンケートに答えていただくとくじが引けて、抽選で何かあたるということもしていたので、受けつけ周りは大忙し。

でもおかげで沢山のアンケートが集まり、今後の運営の参考になる意見を沢山いただくことができました。

協賛してくださった全ての企業スポンサー、個人スポンサーの皆様本当に有難うございました。

来場してくださった監督の皆様、伊藤監督、有難うございました。

そして、時間と労力を惜しまず提供してくれたスタッフの皆さん、本当にお疲れさまでした!


ちなみに、毎度波乱の映画祭運営。
大成功を収めた2009年度ではありますが、コアスタッフへの負担が半端でなかったのもこの年。

非常に残念なことに、初年度からスタッフの核として仕切ってくれていた事務局長のHさんがこれを最後にコアスタッフを抜けることになります。
事務全般、紙媒体デザイン、HP制作、ボランティア統括など、全般にわたって運営手腕を発揮し、大黒柱的な存在だった彼女の穴は非常に大きいのですが、大変さを知っているだけにこれ以上お願いすることもできない。
そして本業そっちのけ?(いえいえちゃんと仕事はされてましたよ^^)で全力投球してくれた運営委員長も、次年度の委員長継続はなしで、一スタッフとしての参加を希望されます。

お二人ともコアスタッフの中のコアだったので、2009年度のように続けるのは本業との兼ね合い上無理とのこと。。。お二人とも自営業なので時間の自由がきく分、かなりの時間を費やしてくださっていました。

本当にお疲れさまでした&有難うございました!(涙)

さて、また中心スタッフがいなくなり、途方にくれていた私に救いの手を差し伸べてくれたのは…。


次回、2010年度編を乞うご期待!
でもその前に、2010年度交流会レポートと、クレルモンフェランリポート書きますけどね。

(hiroko)


  

Posted on 2011年02月14日 │コメント(0)

ひめじ国際短編映画祭の生い立ち④~第3回映画祭開催 その1~ (2011年02月03日付け)

さて、やっと2009年、映画祭にとっては大発展の年となる第3回目がやってきます。
話が長くなりそうですので、予め2部編成とすることにして、今回はその1を。

今回は目次を書いてみます。

①初のプレイベント実施
②初のドキュメンタリー制作
③初の運営委員長の熱意と手腕による映画祭の飛躍的発展
④…もあるかも?


①初のプレイベント実施

まず、映画祭の内容的に大きく変わったことと言えば、初のプレイベントを実施したことです。

運営委員長となった、H.T氏の発案のもと、2008年11月に、第一弾のプレイベント、「出張上映キャラバン~短編映画より愛を込めて~」を姫路打越の介護施設「三愛園」にて行います。

その後は、「お城の見える映画館 シネマナイト」と称して合計4回のミニ上映会を実施し、本番の8月の映画祭に向けて、スタッフの予行演習と告知活動、支援金集めを積極的に行っていきます。

H.T氏は、映画祭終了後のミーティングの結果、急きょ運営委員長を引き受けてくださることになったわけですが、映画は大好きなもの、当初は映画祭に本格的に関わるつもりはなく、ちょっとしたお手伝いのつもりだったとか。
でもさすが!というか、既に様々なアートイベントや、街の活性化イベントで手腕を発揮していたH.T氏、運営委員長就任後に「どんな夢を持って、どんな構想を持って映画祭を始めたのかちゃんと教えてくれ」と、想いを聞いてくださり、その後は素晴らしい行動力と統率力でてきぱきと準備を進めてくれます。

(余談ですが、H.T氏のご家族はアート一家で、氏自身もイラストがお上手。2009年から登場するJo君も氏が制作。事務所で作業をしていたりするといつも覗きにきてくれたH.T氏、その場でささ~とスタッフのイラストを描いてプレゼントしてくれてました。)

「短編映画をもっと身近に感じてもらいたい」「キャラバンで周るような移動映画館で、映画を観ることのできない人にも伝えたい」などどいう、漠然とした夢も、その行動力を持ってしっかり実現してくれました。

②初のドキュメンタリー制作





こちらも運営委員長の案で、ちょうどこの年はひめじお城祭り60周年記念の年だもあったことから、それにちなんだドキュメンタリーを作ろう!と、企画書を練り、見事制作への助成金も獲得してくれます!

ドキュメンタリー制作プロジェクトに関しては、私はほとんど関わっていないので、その本当の意味での苦労はわかっていないのですが、企画、脚本から始まり、資料集め、インタビューのアポ取り、撮影手配、撮影、編集など、運営委員長と事務局長のHさん、技術担当のU氏がほぼ3人で短期間で作りあげたという今思えば、「そんな時間とパワーがどこに?」という離れ業です。
ちなみに、皆さん本業があって、その合間に映画祭本体の準備をしつつ、の、ドキュメンタリー制作です。

「何故、制作しようと思ったのか?」というと、2010年制作のドキュメンタリーの舞台挨拶の時にも言われてましたが、「ひめじで映画祭をすることの意義を考えた時、僕たち自身でも映画をとって、ひめじの良さを再発見し、発信していこうと思った」とのことです。

プレイベントや、ドキュメンタリー制作、その他映画祭の準備の裏側はこちらで。(運営委員長自身がブログも沢山書いてくれました!とにかく何でも行動が早くて即UPで驚き&見習わなくては!)

ちなみに、映画祭制作の地元ドキュメンタリーと珍しい試みということで、姫路市民からの反響はもちろんのこと、他の映画祭や、地域振興を考えている団体などからその後も問い合わせや上映依頼をいただくことになります。

というわけで、2009年度は新しい試みを二つ行い、その両方とも大成功!ということで、今日は一旦おしまい。

次回は、映画祭本体の内容の変化とともに、2009年度の運営の苦労と楽しさを振り返っていきたいと思います。

(hiroko)  

Posted on 2011年02月03日 │コメント(0)

ひめじ国際短編映画祭の生い立ち③~第2回映画祭開催~ (2011年01月31日付け)

さて、無事なんとか1年目を終えることができたので、翌年度も同じ条件での開催機会をいただきます。

第二回目で大きく変わった点と言えば、ゲスト監督を迎え、トークと特集上映を行ったこと。観客賞に加え、グランプリと審査員特別賞を設けたこと。

まずは、映画祭スタッフで、応募総数73作品の中から一次審査通過作品を30本を選出し、公開審査委員会を開き、コンペ入選作品、審査員特別賞の候補作品選定を行いました。

その際に多数参加してくださったのが、姫路シネマクラブ運営委員の皆さん。
姫路シネマクラブ運営委員のT氏の参加のおかげで、二年目から姫路シネマクラブとの関係が深まっていったのです。

T氏は審査会の運営、当日の上映にまつわる準備などを丁寧に、綿密に進めてくれました。

T氏の親友で、スポーツ関係のボランティア活動をされているK氏も2008年は当日スタッフとして参加してくれることになりました。

また、第二回目の開催に当たっての内部の大きな変化と言えば、創設者であり、私と一緒に代表を務めていたD氏が本業多忙となり抜けたこと。

そして、その後(いや、初年度からすでにですが)事務局長、副代表として中心的な役割を果たすことになるHさんが、事務所を大手前公園前の大きな事務所に引っ越ししたこと。納屋工房さんですね。

人が集まる納屋工房が事務局になったことで、さらに多くの協力者を得ることになるわけですが、多大な負担をおかけしてしまいました。。。

下の写真のような素敵な会場で審査会やサンサーラさんによる映画祭カフェ、そして、初の交流会も行うことができたのも納屋工房コミュニティースペースがあってこそ!

そして、Hさんの紹介で、2009年度の運営委員長、そして合計5作のEDH制作ドキュメンタリー作品の監督としても、映画祭の飛躍的な発展に貢献してくれる、H.T氏が急きょ、交流会運営担当として参加してくれることになります。イベント運営になれているので、もちろんそれ以外にも当日間際の参加ながら告知や、当日の運営などで大活躍!

筧昌也監督のトークの司会を快く引き受けてくださったKさん。おかげさまで明るく楽しいトークになりました。

技術担当のU氏がまとめてくれるチームUの面々の皆さんもこの頃から参加してくださっています。彼らは審査員&当日上映&ドキュメンタリー撮影など、様々な分野で活躍してくれ、技術面を支える心強い存在です。

U氏には2008年からは字幕機材もお借りし、指導を受けての字幕挿入にも初挑戦!
映画祭CMも作っていただきました。

ちなみにこの年から、会社を辞めたこともあり、プログラム編成担当の私自身で海外作品オファーと字幕制作を行うようになったのです。(ので2008年度はちょっと海外作品少なめ。)

コミュニティースペースという納屋工房さんの場所のおかげで知り合った方々が当日ボランティアとしても多数参加してくださいました。

協賛の方も、地元で顔の広いスタッフの皆さんのおかげで増えていきました。

一人で無謀にも持ち帰った企画が、様々な人との出会いのおかげで、実現し、成長していく過程を目の当たりにし、人と人の繋がり、地元パワーの大切さをひしひしと感じた年でもありました。

スタッフの皆さんにとっても本業の合間のボランティアでの映画祭運営。ボランティア活動と本業との兼ね合いの難しさ、海外生活も長く日本の常識に疎くなった代表(もとからかも?すみません…)との意見の相違からの衝突など、いろいろ問題も起こりましたが、最後は交流会で楽しく終了!

お客さんの笑顔と参加監督の笑顔が、映画祭の醍醐味、そしてなによりもの報酬です。




(こちらは交流会での筧昌也監督、コンペ参加監督を囲んでの写真です)

2008年は、総勢22名のスタッフで、合計53本(うち海外作品8本)上映、来場監督総数14名の映画祭となりました。

ゲストの筧昌也監督は、こちらの準備不足によるどたばたの打ち合わせ、トーク進行ながらも、嫌な顔もせずマイペースに対応してくださいました。本当に有難うございました!

コンペもそれらしくなり、海外作品も自前で調達、来場者数とともに来場監督数も増え、監督舞台挨拶も多数行っていただけ、映画祭らしくなってきた二年目でした。

様々な形で映画祭に関わり、応援、支援してくださった皆様に、改めてお礼申し上げます。
本当にありがとうございました!

2008年度は、Hさん作成の素敵なHPもありますので、映画祭詳細はこちらから!

映画祭日記はこちらから。

規模も大きくなり、参加スタッフも格段に増え、なんとか終えた2008年度映画祭。

しかし、反省会では、今までのコアスタッフから運営の甘さを指摘され、「代表が海外で、運営を仕切るものがいないまま現地スタッフにまかせてのギリギリ&バタバタ運営ではいかん!いい映画祭なんやからきちんと運営すべきだ!」と、H.T氏からも叱咤激励を受けました。

現地で仕切る運営委員長を置かないとダメだという結論になり、言いだしっぺのH.T氏が引き受けてくださることになって解散した反省会。

その後のスタッフお疲れ会では、H.T氏の提案のもと、「どんな映画祭にしたいか?」と皆でポストイットにそれぞれの夢を書きました。(さすがの手腕!私ではこんな案は…)

その後のひめじ国際短編映画祭の発展は皆さまもご存じの通り?

その話は次回じっくりとお話させていただくとして、今日のところはこれでお終い。

次回、乞うご期待!



昔の記憶を掘り起こしての「生い立ち編」なので、関係者の皆様、記憶があやふやで、脚色&忘却されているところがありましたら申し訳ありません。ご指摘をダイレクトメッセージでお送りください。

記憶力はあまり自信がないので、大まかな記載になっておりますこと予めご了承いただけると幸いです。

(hiroko)



  

Posted on 2011年01月31日 │コメント(0)

ひめじ国際短編映画祭の生い立ち②~第1回映画祭開催~ (2011年01月30日付け)

なんと、年明け早々(私の記憶が確かであれば)、市役所観光課のK氏からメールがあり、
「ひめじお城祭りのイベントの一環として映画祭を開催してみないか?」とのこと。

イーグレひめじのあいめっせホール他、空いている会場を協賛として無料で貸してくださることになり、半年後の開催に向けて姫路のメンバーと慌ただしく進めることになりました。

野外上映は叶わずとも、お城が見渡せる素晴らしい会場です!

「やります!」と二つ返事をしたのはいいものの、実際は、D氏、U氏、Hさんの4人のみでの準備。言いだしっぺの代表はフランスで、帰省(1ヵ月半前だったかな?)まではメールでのやり取りのみ。。。(苦労をおかけしました。)

公募募集チラシを大急ぎで作ってもらい公募募集開始。

公募コンペの審査、ポスターや、ちらし、プログラム作成、協賛集めなどは、1ヵ月半前位でバタバタと進めて、チラシが出来上がったのは開催の数日前だったような…。

それでも出来たのは、皆がイベント運営、映画上映に慣れていたので、各担当部分はお任せでお願いできたから。

資金計画もなく、協賛は知人の会社にお願いし、足らずは当日の募金とスタッフ持ち出しで埋めて。と、すごい運営。もちろん収支なんてつけられる状況ではありませんでした。。。

この時は、招待作品は当時勤めていた会社に協賛として借りていて、プログラム担当である私が希望した作品(海外作品は字幕があらかじめついたもの)をワンプログラムのDVDにしてもらっての上映でした。
国内外の映画祭で評価の高い作品を集めてのプログラムでしたので初年度からレベルはすごかったんですよ!(感謝感謝です)

姫路・播磨プログラムは、地元の映像制作者とのコネクションがあるU氏に一任し、姫路ビデオクラブの皆さんの協力を得て、懐かし映像をお借りしての上映。大好評のプログラムとなりました。

第一回目となる2007年度から公募作品コンペと海外の招待作品、そして姫路・播磨プログラムを組んで、多彩な短編映像を紹介し、若手監督の応援をしながら、姫路での制作機運を高めるという方針は変わっていません。

第一回目ということでコンペ募集期間も短く、また知名度もゼロに等しかったので、応募総数は30本。
その中から入選作品を16本選び、選外作品は、別会場の小会場で、上映というシステムにし、全作品上映を試みました。

D氏がパラパラアニメーションのワークショップができるということで、子供向けにワークショップを開催し、作った作品を大スクリーンで上映。子供は大喜びでした!

2007年度の上映作品、映画祭日記はこちらで。

上記のとおり、告知する暇もなくの無理矢理開催。
一日目は台風で、街中に人影はなく、二日目はぼちぼちなんとか…という感じで大成功!とは言えませんでしたが、少人数のスタッフでしたが、無我夢中、でもわきあいあいと頑張りなんとか修了。





皆さん、お疲れ様でした!

ハードなのでスタッフの入れ替わりが…と思っていましたが、改めて写真をみれば、関わり方は変われど、今でも映画祭に関わってくださっている方が多いのでほっとしました。

一度引退して戻ってきてくれた方や、当日スタッフとして毎回参加してくださっている方、観客&スタッフとして関わり続けてくれる方、スポンサーとして応援してくれている方。

個人的な話で申し訳ないですが、事務局長&アートディレクターとして活躍してくれたHさんの参加を通して、小学校以来の親友Tちゃんと再会することができました!彼女は、第一回目から、スタッフとして、友人として映画祭を支えてくれている心強い存在です。

創設スタッフであるD氏、U氏、Hさんの他に、Hさんを通して参加してくれ、協賛集めや、撮影で活躍してくれているK氏、事務作業や受付、ビラ配りなど何でも明るくてきぱきとこなしてくれるKさん、ご自身もデザイナーでアート&音楽イベントを企画運営しているH君、初年度からのスポンサーかつ、観客や公開審査の審査員として映画祭を支えてくれるM氏、司会や受付などで手伝ってくれるRちゃんの顔も見られます!皆さん2010年度開催までずっと支えてくださっている方々です。ありがとうございます!

もちろん、第一回目のみのボランティアの皆さんにも感謝!
写真には写ってないけれども、この他にも多くの皆さんの応援と支援のおかげで何とか無事開催することができました。

ちなみに、第一回目に朝から晩まで陣取って、選外作品までも鑑賞し、2日間丸々短編映画を堪能し、アンケート用紙には裏一面を使って、苦言、いえ、今後運営のためのアドバイスを書いてくださった方が一名いらっしゃいました。

この方が、何を隠そう去年の運営委員長のT氏。そしてもちろん彼は、この苦言を書いてしまったがために、私にヘッドハンティング?(いや、泣きつかれ?いや、見るに見かねて?)され、第二回目から、公募コンペ&進行担当スタッフとして参加するはめになってしまったのです。。。

でも、最初は及び腰または強制参加の場合でもそのうち、短編映画の魅力にどっぷりつかり…と、ひめじ国際短編映画祭を通して姫路の映画ファン、町おこしイベント班の輪は広がっていっているのです!(と私は信じている)

という訳で、御覧の通りの少人数でしたが、なんとかやり遂げた第一回。
スタッフの皆さんほんとうにお疲れさまでした~。

そして、支えてくださったスポンサーの皆様、作品を提供してくださった監督の皆様、応援、来場してくださった皆様、本当に有難うございました!

ちなみに、その①で書き忘れていたのですが、2006年の夏の帰省時に、2010年度のスポンサーである兵庫県映画センター、2008年度から多方面で協力してくれることになる姫路シネマクラブの方にもアドバイスを求めてコンタクトしていました。

野外上映にまつわるアドバイスをいただき、その時始めて、野外上映、しかも三の丸広場での上映会がいかにお金がかかり無謀であるかを知りました。(遅いって?)業者さんに見積もりとって真っ青になりました。そりゃ、フィルムコミッションの方に「絵に描いた餅」と笑われるわけだ。でも、この方、(今はいらっしゃらないですが)、にも少しずつ認められていくんですよ!

映画振興に励む両団体、趣旨には賛同していただけたようで、優しくアドバイスをくださり、その後はご存じの通り、協賛やマンパワー提供という形で、映画祭を支えてくださる心強い存在となっていったのでした。

では、次回、初!のゲスト監督&審査委員長を迎えての開催となる第二回目。ゲストという生もののプログラムを加えてさらにとたばたの第二回目をどんなメンバーで乗り切っていくのでしょうか?

乞うご期待!

(hiroko)





  

Posted on 2011年01月30日 │コメント(0)

ひめじ国際短編映画祭の生い立ち ①~出会いとEDHの誕生~ (2011年01月29日付け)

事務局も立ち上がり、次回の開催に向けて本始動した「第5回世界遺産のまち ひめじ国際短編映画祭」。

5周年に向けて、周辺イベントも充実させよう!と夢はおっきく!
ですが、相変わらず資金&マンパワー不足に悩んでおります。

運営体制を見直そうと、あらゆる方面で奮闘してくれているスタッフが新たに加わり、本当に心強く、有難いことなのですが、イベントを大きくしようとすると、ひめじ国際短編映画祭の核でもある「市民ボランティアによる映画祭の運営」という壁にぶつかってしまいます。

みんなの「思い」が動力のボランティア運営。みんな、時間と労力と、時には金銭的負担も惜しまず頑張ってくれています。
でもイベントが成長すればするほど、組織としての確立が大事になり、一人一人の「思い」を全て反映していては物事が進まなくなる。その調整をどうとるか?
代表の私が姫路にいないので、いつもこの部分を現地のスタッフに委ねてしまい苦労をかけています。

そんなこともあり、過去に参加してくれたスタッフの皆さんへの、そして今年頑張ってくれているスタッフの皆さんへの感謝の気持ちもこめて、今までのことを振り返りつつ、これからを考えていくことにしました。

興味ある方は最後までお付き合いくださいませ。

①~出会いとEcrans de Harimaの誕生~

2006年の夏。

私、創始者&現代表のhirokoが、三の丸広場を使っての野外映画祭の企画を無謀にも市役所の観光課に突然持ち込む。

その前にコムサロンのM氏にコンタクトをとっており、同じような企画をたつの市で考えていた芸術作家のD氏や、フィルムコミッションの方を紹介してもらう。

どこの誰かもわからん姉ちゃんが突然来たのでもちろん相手にもされなかったが、心優しいK氏に一応話は聞いていただける。

ちなみに、映画祭の企画を考えたのは、パリの友人Hさんが地元の鎌倉での映画祭を立ち上げていて、仏語作品の翻訳などで映画祭の準備に参加して「地元での開催」に共感したから。そして、当時短編映画の配給をしている会社で働いており、フランスの短編映画祭にも参加していて「映画祭での町おこしの成功例」目撃していたから。

さて、せっかく企画を持って帰ってきたのに、このまま帰るのも悔しいところ。

コムサロンのM氏を通じて紹介していただいた芸術作家のD氏は、既に様々なイベントの企画&運営をされている顔の広い方で、意気投合!?
ミーティングに行ったお店、(D氏の知り合いでもある)、Cafe霑さんが大塩海岸での音楽イベントを主催しているということで、話の流れ?で急きょ、そこで野外上映をすることに。

話があってから2週間で、作品と機材を準備するという超ハードスケジュールというか無謀な試み。

作品は、私の会社に無理を聞いてもらい、機材関係は、D氏の幼馴染で、映像関係の仕事をされているU氏にお願い。上映会の様子はこちら





海辺で映画なんて素敵~!!!と思ってたら、いやはや、現実は、潮風でスクリーンはやられ…と散々でしたが、なんとか好評の上、無事修了。ロケーションは最高ですが、上映環境としてはやっぱ室内がいいかな。

上映後は、スタッフみんなも音楽イベントに参加して楽しみました。

そして、味をしめて…、映画祭協力者探しの中で出会った、M氏(その後ずっと映画祭に協賛していただいています)のお寺での上映会も行う。

上映会の様子はこちら

市役所の協賛は残念ながら得られなかったけど、強力なパートナーとなるD氏との出会いにより、D氏の紹介で、U氏(その後技術担当として映画祭を常に支えてくれてます)、そして、第1回目開催の中心人物として力を発揮してくれるデザイン事務所経営のHさん(第3回目まで映画祭の要として大活躍してくれます)と、映画祭創設メンバーがそろいます。

D氏とHさんは、町おこし系のイベント経験がすでにあって、デザインもできるのでこれ以上はないと言っていいほどの強力なパートナー。しかもお二人とも顔が広い!(私はちなみにコネはほぼゼロの当たって砕けろタイプ)
U氏は、上映素材の準備や機材手配、上映等の技術面ならお任せあれ!のこれまた映画祭にはなくてはならないお方。彼に字幕の付け方も教えていただきました。

そして、Ecrans de Harimaという団体名称を決め、Hさん作成のかわいいフライヤーも作り、Ecrans de Harima発足となりました!

というわけで、思いもよらずに2回も上映イベントをすることになってしまいましたが、D氏、U氏、Hさんと映画祭創設メンバーが揃うことになった有意義で熱い夏となりました。

出会いを作ってくださった皆様、そのおかげで出会えた皆様、皆様との出会いでひめじ国際短編映画祭がうまれました。まずはそのことに感謝の気持ちでいっぱいです!!!


そして、姫路を後にしパリに戻り、年明け…観光課のK氏から突然のメールが!
その内容は…!!?



つづく。


(hiroko)















  

Posted on 2011年01月29日 │コメント(0)